日常生活の様々な認知活動において、ワーキングメモリは重要な役割を果たしています。ワーキングメモリといっても、心理学や神経科学の分野でその定義は異なり、一時的に情報を保持するシステムを指すこともありますが、わたしたちは、複数の課題(マルチタスク)の遂行を可能にするシステムをワーキングメモリと定義しています。
ワーキングメモリの大きな特徴は、その容量に制限がある点です。限られた容量を効率的に分配することで、わたしたちは、高度な認知活動に取り組むことができるのです。
たとえば、地図を参照しながら、目的地にたどり着くときのことを思い浮かべてみましょう。おそらく多くの人は、地図上の自分の位置と目標の位置を頭の片隅に置きながら、手がかりとなる周辺の建物や標識を探すでしょう。そして、その手がかりが見つかれば、また、次の手がかりを探しながら足を進めます。
このように複数の作業を同時に遂行するとき、それぞれの課題に対して、柔軟にワーキングメモリの容量を割り当てなければなりません。地図のことばかりに気を取られていると、周りの手がかりを見落としてしまい、道に迷ってしまうことになるでしょう。
このワーキングメモリの容量の割り当てについては、得手不得手があるというデータが得られています。容量をうまく割り当てられる人たちは、一度に複数の課題を高い精度でこなすことできます。これに対し、容量の割り当てが苦手な人たちは、単一の課題であれば難なくこなすことができるのですが、複数の課題の同時遂行が求められると、成績の著しい低下が認められます。
それでは、このようなワーキングメモリ容量の割り当ての得手不得手は、脳のどのようなはたらきと関係するのでしょうか。これまでの研究により、前頭葉や頭頂皮質、大脳基底核といった領域の関与が指摘されてきました。わたしたちの研究においても、前頭葉の前部に位置する前頭前野(Prefrontal Cortex)の特に背外側部が、ワーキングメモリ容量の個人差と関係することがわかりました。
前頭前野は、情報を統合し、そして、適切な行動選択する司令塔の役割を担っていると考えられています。課題が複雑になればなるほど、その活動が増加することから、ワーキングメモリシステムの中心的な役割を担っているとも考えられています。
しかしながら、前頭前野のどのような性質がワーキングメモリの容量配分の個人差に関係しているのか、また、遺伝的な要因や環境要因が、この領域のはたらきにどのような影響を与えるのかについてはあまり知られていません。これらの問題を解決すべく、わたしたちは、脳画像手法や脳刺激法をもちいて、ワーキングメモリ容量の個人差を生み出す神経メカニズムの解明に取り組んでいます。
近年は、ワーキングメモリ訓練プログラムの開発などが進められており、学習を介したワーキングメモリの機能向上の試みがおこなわれています。 ワーキングメモリ訓練の効果については意見が分かれていますが、ワーキングメモリ機能の改善をもたらす介入手法が特定されれば、ADHDや学習障害の改善につながることが期待されます。
これまでに助成を受けた研究資金:日本学術振興会・科学研究費補助金・特別研究員奨励費(20・5480「視空間性ワーキングメモリのメカニズムの解明」)。